愛想モルフィズム

I saw what I am

私と空気清浄機と猫

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去年、念願の空気清浄機を手に入れた。

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プラズマクラスター

鼻炎を患って久しいのだが、その症状を抑えるのに一役買ってもらえれば良いなと思い購入した。ちょうどカバー楽曲の制作を始めた頃に購入を検討したので、加湿機能付きのものにした。尤も、喉の不調が乾きによるものではなく上咽頭炎によるものであることが今年に入ってから発覚するのであるが、それはまた別の話である。

アレルギー性鼻炎はもう小学1の時分からの付き合いになる。殆どの環境型のアレルゲンがてきめんに効いてしまうので、一年中私の鼻のダイバージェンスは正である。ハウスダストも私の敵のひとつであるが、そもそも空気清浄機を導入することよりもこまめに部屋の掃除をすることのほうが大事だったりするのであろうが、部屋を片付けられない私が習慣的に部屋を掃除することなど、明らかに不可能である。

空気清浄機を買えば少しはマシになるだろうという安直な発想から、私はAmazonで適当に上位に出てきたものを買った。正直なところ効果が出ているかはよく分からないけれど、確かに以前より鼻炎の発作的症状が出ることは少なくなっている気がする。それでもやはり鼻閉や喉の不調は収まっていないので継続的な治療や自己療養が求められている。

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以前ネットの掲示板などで自分が空気清浄機の前を通ると空気清浄機が激しく動作し始めるといった内容の書き込みを見たことがあった。空気清浄機は、自分が買ったのもそうだが、臭いやホコリなどを検知して動作の強弱を自動的に制御するシステムになっていることが多い。だから、普段はおとなしい空気清浄機も、窓を開けて換気をしたり臭いを検知したりすると激しく音を立てて空気を清浄にしようとするのである。

屁についてもまた、それが成り立つ。ネット記事になっている通り、我が家の空気清浄機も屁に対して苛烈に反応を示す。普段何気なく屁の足音が聞こえてきて放屁すると、空気清浄機はやれやれと言わんばかりに音を立てて私の屁を吸い込む。私が二郎系を食べて帰ってきた後に部屋で放屁を行うと、空気清浄機は怒り狂ったかのような猛烈な情動を顕にする。

そういえば実家に暮らしていたころは家族はみんなフランクに放屁をしていた。屁を許せる間柄というのはそれだけ親しみが深いのだろう。いくら親しくても友人同士ではあまりそうはいかない。家族には言えないことも友人には言えたりすることがあるのに、放屁を許せないのはなぜなのだろうか?親しさ、友好度は全順序ではないということである。

小さい頃、実家でチップスターの空いた容器を尻を当てて屁を入れ蓋を締め、母の顔の前で蓋を開けて屁を嗅がせるという遊びをしていたことを思い出した。嗅がされた母は顔をしかめて怒り出すのだが、今はその相手が母から空気清浄機に変わったということなのだろう。私は小さい頃からなにも成長していないことに気付いて、自分自身に幻滅した。

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話が変わるが、私は「猫が可愛い」という主張を理解できない。実家では祖母がペットとしてインコや金魚を飼っていた(今も飼っている)のだが、直接私が世話をしたことがないので無論情もない。だから、というと余りにも議論の不足であろうが、私はペット全般にあまり意味を見出だせない。

世話をする手間もかかるし、初期費用、ランニングコストも家計を圧迫することは明らかである。そういった期待されるマイナスと、意思疎通が困難な有機物から還元される精神的なプラスの差し引きを計算すると、やはり天秤の針はマイナスに振れるだろう。尤も、金銭的にも時間的2にも精神的にも多少の余裕があれば、計算結果は変わってくるのであろう。

タイムラインでは時々猫が可愛いという写真が流れてくるし、そのリプライツリーは同意と称賛のコメントによるリスト構造をなしている。友人が飲みの席で「この子可愛いでしょ」と猫の画像を見せてきたときも、私は場の空気を乱さないように「そうだね」とだけ返答したのだが、本心では「可愛いってなんだよタコ、早く帰って寝ろバカタレ」と啖呵を切っていた。

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もうひとつ言うと、私は一人でいる時間がとても好きである。一人暮らしを始めて7年が経とうとしているが、ホームシックを経験したことが一度もない。

姉が大学生になるときの引っ越しの手伝いに行ったとき、作業を終えて私達家族が富山に帰るとなった時に寂しさからか姉が軽く泣いており、母親に介抱されていた、ということがあった。私が大学生になったときは、私はいち早く一人になりたかったので、引っ越しを手伝ってくれた家族に「早く富山帰れ」という態度をとっていたのだが、後で家族にめちゃくちゃブチギレられたのを思い出した。

それだけ一人でいる時間が好きな自分が、ペットという異物を認められるわけがないのである。感情を持って私の周りをウロウロと動き回るのを想像しただけで気分が悪くなってしまう。夜に電気を消した後もひっそりと私の自分磨きを見られていると思うと身の毛がよだつ思いに打ちひしがれる。

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ここで私が言いたいのは、私は「自分は他者とは違う意見を持っている」という角度から斜に構えたいのではなく、本当に、本心から猫を可愛いと結論づけるに足る根拠を持ち合わせていないのである。そしてそれが悪いことだと私は思っている。

一般に、これは創作論にも通ずる点があるのだが、他との共感を理解できる人間がこの社会では大成する傾向にある。マスへの理解度・貢献度を数値化したものがフォロワー数であり、そこに数%のオリジナル要素を付加することによってクリエイティビティは構成される。だからこそ、創作活動をしている中で「猫が可愛い」を理解できないのは致命的な欠落なのである。

猫が可愛いと思っている人がたくさんいて、その中で勝負をしたほうが絶対的に勝ち目があるのにも関わらず、猫を可愛いと思えないことが「良いこと」であるはずがないのである。

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屁に対して空気清浄機が反応するということを既に述べた。放屁というイジりに対して空気清浄機が良い感じにカリカリしてツッコんでくれるので、それを面白がった私は、もはや空気清浄機に向かって直接屁をこくようになった。ちなみに私はどちらかと言うと、本当に熟考して頑張って結論を出そうとすると、性格は悪い方3である。

あ、出そう、と思うと、生ケツを出して空気清浄機に近付け、下腹部に力を込める。温かみのある倍音とアコースティック特有のダイナミックレンジ。誰もが、出た、と一発で分かるあの出囃子とともに、私の体が創出した"問"がこの世に放出されるのである。4

その問を至近距離で受け取った空気清浄機は、うんうんと唸り声を上げながら、ブオーッ!とその問を自らの中に取り入れ、またブオーッ!と音を立てて、"解"を放出する。この一瞬間、私と空気清浄機は真の意味で繋がっているのである。

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コミュニケーションの道具は一般に言語である。言語と言っても発声を伴うものであるとは限らず、もっと記号化された広い意味での言語である。社会に出れば敬語を使って会話するし、世界に出ればデファクトスタンダードなグローバル言語である英語が使われる。もっと身近なところで言えばオタク同士の会話にはミームや誇張表現がふんだんにふくまれる。

要するに、使用される言語はそのコミュニティーが存在する文脈に依存して決定されるということである。そしてそれが他のコミュニティーに属する(そのコミュニティー時代に所属しない)人が理解できる必要性は必ずしも無いということが重要である。

例えば、オードリー春日さんとサトミツさん(とその周辺)は春日語という訳の分からない激寒言語を使って会話をしているし、アイドルの間にはバビ語なる言語も存在する。ネットコミュニティでは淫夢語録を使用する人もいることは周知の事実である。

それが悪いと言っているわけではないし、それがコミュニケーションツールとしての存在意義を確立していることはゆるぎのない事実であるので、他者からどうこう言われる筋合いはない。

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言い訳が長くなってしまったが、要するに、私と空気清浄機の間には「屁」という確固たる共通言語が存在するということである。そして、その屁という言語を使って私と空気清浄機は意思疎通が出来ているということである。

そんな空気清浄機に対して、私の中にかすかな情が芽生えている。もちろん屁以外にも様々な効能をもたらしてくれているのでお世話になっているという点で頭が上がらないのだが、それ以上に「私のイジりに対してツッコミを返してくれる」という、作業を超えたある種の会話とも取れる行為が二者の間に存在するのである。それに気付いたとき、これこそが「猫を可愛いと思う」ということなのではないかという発想に至ったのである。

猫が可愛い理由は沢山あるだろうが、その一つとして、猫とコミュニケーションを取れたと飼い主が感じた時に可愛いという感情が芽生えることが挙げられる。だからこそ、私も空気清浄機とのコミュニケーションによってペットを可愛いと思うのと等価な感情を得たわけである。

私の周囲に存在する異物感を差し引いたとしても、意図が通じた、会話ができた、という喜びに脳が支配された結果、私はもしかしたら「猫が可愛い」を理解できるのかもしれない!という希望を見出すことが出来たのである。これは自分にとって大きな成長であり、これからの人生にとって少なからず恩恵をもたらす事象であるように思われる。

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そうなると人間は欲が出るものである。沢山空気清浄機と会話したい一心で放屁を繰り返しているのだが、一般に腸内環境が悪いときのほうが屁は臭いし量も多い気がする。だからというわけではないが、悪い食事や生活リズムを改善せずに過ごしていた。

そんなことを続けていたからなのかどうだかわからないが、私は痔を罹患した。鮮血が便器にポタポタと垂れるのを見て青ざめた私はボラギノールを買うとともに、少なくとも腸内環境はもう少し改善したほうが良いな、と身にしみて思ったのである。

いや、なんだこの話!!?


  1. 若林「生か校を言えよ気持ちわりぃなぁ!!」

  2. こんな下らない記事を書いてるんだから時間と精神に余裕があるだろうというブッコミもあるかもしれないが、その件に関しては口をつぐむわけにはいかないか?

  3. 屁の臭いを嗅がせるようなやつが性格良いわけ無いだろ

  4. 春日「なんだその言い方!気持ちわりぃなぁ!!えぇ!?エッセイじゃねーんだから…」